見たいものが見えない生活

緑内障・黄斑変性と共生するための覚書です。

バニラ・エア騒動がもたらしたもの

バニラ・エアが車椅子での搭乗を拒否し、男性が自力でタラップを上がった件についてのネットの記事をいくつか読みました。

 

バニラ・エアだけでなく、男性も「プロ障碍者」だと非難を受けていますが、この騒動の結果、奄美空港でアシストストレッチャーや階段昇降機がバニラ・エアで導入されることになったのはよかったと思います。

 

ネットの記事を信用するなら、車椅子の男性の行状にはよろしくない点もあるけれど、このようなセンセーショナルな取り上げ方をされなければ、こんなに早く導入されることはなかったのではないでしょうか。

 

ネットの記事の中には、「LCCはコストをギリギリまで削減しているから安いので、今回のようなケースに対応していたら、結果的に利用者の運賃が上がってしまうではないか。」といった論調もありました。でもですね、そこで言う「利用者」は「健常者」しか想定していないわけで、それでいいの?と違和感を感じました。

 

私は「健常」と「障害」って、そんなに遠いものではないと考えています。

かつて、うちの子供が足を骨折し、1ヶ月松葉杖生活を余儀なくされたことがありました。電車通学だったのですが、駅や学校にエレベーターがあったおかげで、休まず通学することができました。これがエレベーターがなかったとしたら、私は車の運転ができないし、階段を負ぶって移動するには重すぎるしで、とても通学できなかったでしょう。その時、状況によって、簡単に交通弱者になってしまうのだと実感しました。

今は健常であっても、怪我や病気や老いによって、自分や家族が、健常でなくなるときが来るかもしれません。いずれわが身もという気持ちがあれば、障碍者を排除することにはならないのではないでしょうか?

 

バリア・フリーの世界は、健常とか障害に関係なく、誰もが生活しやすい世界です。でも、それをすぐに実現することは難しい。だから、非難の応酬ではなく、どうしたら理想形に近づけるか、行政も含め、お互い知恵を出し合える社会になってほしいと思います。