見たいものが見えない生活

緑内障・黄斑変性と共生するための覚書です。

ロービジョンを知ってもらうには?

昨日、Yahooニュースで、弱視が取り上げられていましたね。

 

弱視屋の見ている世界ー人生の途中で「白杖」を持つ

 

恥ずかしながら、ロービジョンについて色々調べるまで、なんとなく「白杖全盲」のイメージを私も持っていました。確かに、少しだけ見えるけれど普通に歩くのは難しい状態はあるわけで、そういうことに思いが至らなかったわけです。

 

自分自身が、道を渡るとき車が視界から消えてしまってどこまで近づいているのかわからない時があるとか、スーパーでお惣菜のラベルになんて書いてあるのかわからないとか、銀行のATMで数字を入力するのに苦労するとか、そういう不自由を経験をして、ようやく目が見えないことの大変さを考えるようになりましたが、もしそういう障害が出てこなかったら想像だにしなかったことでしょう。だから、このYahooの記事のように、その大変さを伝えることは大切だと思うのです。

 

話は全く変わりますが、昨日のNHKの朝ドラ「ひよっこ」に「インパール作戦」が出てきたことにびっくりしました。

 

インパール作戦」とは、第二次世界大戦中、日本軍の無策により多大な犠牲者を出した悪名高き作戦です。こんな重い話が、あの能天気あビートルズ騒ぎの中で、さらっと組み込まれていることに驚きました。

 

それで思いました。この「ひよっこ」のように思いテーマをさらっと組み入れてもよいのではないか、普通のドラマで障害について考えるシーンがあってもよいのではないかと。

 

セサミストリートに自閉症のキャラクターが加わったそうですが、同じように福祉番組ではなく、普通の番組で障害についての描写があってもいい。例えば、主人公の友人が白杖を持ちながらスマートフォンを使うシーンとかね。

 

そうやって障害を身近に感じられたらいいなぁと(だいぶ飛躍しつつ)妄想しておりました。

 

 

 

バニラ・エア騒動がもたらしたもの

バニラ・エアが車椅子での搭乗を拒否し、男性が自力でタラップを上がった件についてのネットの記事をいくつか読みました。

 

バニラ・エアだけでなく、男性も「プロ障碍者」だと非難を受けていますが、この騒動の結果、奄美空港でアシストストレッチャーや階段昇降機がバニラ・エアで導入されることになったのはよかったと思います。

 

ネットの記事を信用するなら、車椅子の男性の行状にはよろしくない点もあるけれど、このようなセンセーショナルな取り上げ方をされなければ、こんなに早く導入されることはなかったのではないでしょうか。

 

ネットの記事の中には、「LCCはコストをギリギリまで削減しているから安いので、今回のようなケースに対応していたら、結果的に利用者の運賃が上がってしまうではないか。」といった論調もありました。でもですね、そこで言う「利用者」は「健常者」しか想定していないわけで、それでいいの?と違和感を感じました。

 

私は「健常」と「障害」って、そんなに遠いものではないと考えています。

かつて、うちの子供が足を骨折し、1ヶ月松葉杖生活を余儀なくされたことがありました。電車通学だったのですが、駅や学校にエレベーターがあったおかげで、休まず通学することができました。これがエレベーターがなかったとしたら、私は車の運転ができないし、階段を負ぶって移動するには重すぎるしで、とても通学できなかったでしょう。その時、状況によって、簡単に交通弱者になってしまうのだと実感しました。

今は健常であっても、怪我や病気や老いによって、自分や家族が、健常でなくなるときが来るかもしれません。いずれわが身もという気持ちがあれば、障碍者を排除することにはならないのではないでしょうか?

 

バリア・フリーの世界は、健常とか障害に関係なく、誰もが生活しやすい世界です。でも、それをすぐに実現することは難しい。だから、非難の応酬ではなく、どうしたら理想形に近づけるか、行政も含め、お互い知恵を出し合える社会になってほしいと思います。

 

 

 

 

 

ロービジョン外来を勧められる

今、緑内障と錐体ジストロフィーは、それぞれ別の病院にかかっていまして、先日、緑内障の方の病院に行って、視力と視野検査を受けてきました。

矯正視力は右目0.9、左目0.1。

右目は結構視力が出るのですが、以前に比べ、視力検査表の光っている箇所をすぐ見失い、それを探すのに時間がかかるようになりました。

左目に至っては、そもそも光っているかどうかがわかりづらくなりました。

 時間をかければ視力検査表のあいている方向はわかりますが、看板の字すら、よく読めなくなったのに、矯正視力0.9は意味があるのかと思いますね。

 

 

視野検査の方は、周辺は残っているのに、右目の中心部は、ごく中心が残っているだけで、あとはほぼ真っ黒。(見えていません。)左目は中心部もほとんどダメ。

右目のわずかに残っている中心部がダメになったら、一気に視力も下がってしまうでしょう。

 

先生に「視機能が残っているうちにロービジョン外来を受診したらどうか」と勧められました。ロービジョン外来では、残っている機能を使って読み書きができるように訓練するようです。次回、黄斑外来を受診したときに申し込んでみようと思います。

 

 

 

 

視機能を徐々に失うということ

この頃、朝起きてカレンダーの文字を見るたびに少しずつ悪くなって来ているのを感じます。錐体ジストロフィーはゆっくり進行する病気だと言うけれど、中心部で見える範囲が狭かったので、それが侵食されると一気に進んだように感じるのかもしれません。

 

視機能が衰えていくということは、単にものが見えないというだけでなく、認知機能に大きな影響を与えるようです。二人は視覚から8割の情報を得ているとも言われますが、全体的には見えていますが、高次の情報は文字から得ているらしく、文字がすらすら読めなくなってからは、内容の理解や記憶する能力が明らかに落ちました。

 

また、誰かと話しをするときも、目を見ると口元が欠け、口元を見ると目が見えず、相手の表情が全体でとらえられないので、コミュニケーションにも支障を感じるときがあります。

 

つまり、目がよく見えないということ自体よりも、それによって生じる認知機能やコミュニケーションの障害が私をへこませるのです。

 

落ち込んだ時はよく2年前に見た、ジュリアン・ムーア主演「アリスのままで」という映画を思い出します。この映画は、家族にも仕事にも恵まれた50歳の言語学の教授である主人公が、遺伝性の若年性アルツハイマーを発症し、仕事も記憶も失っていく姿を描いたもの。言語学者であるのに徐々に言葉を忘れはじめ、少しでも食い止めようと、家事の合間に言葉をメモしたり、スマホの言葉ゲームをしたりする姿が印象的です。しかし、その努力むなしく病気は進行してしまいます。病気にたいする戸惑い、恐れ、怒り、そして受容までのプロセスが描かれ映画です。

 

この映画で心が救われることはないのですが、病気は違えど、機能が衰えていくことの悲しみは感じることができます。そして、自分も日々機能が衰えていることを受け入れなければならないことも。

 

そうは言っても葛藤は続きそうです。

 

 

小林麻央さんの訃報に思う

小林麻央さんが亡くなりました。

 

時折ブログを拝見していましたが、この日が来るのが少しでも遅くなるように祈っていたのに、ついにその日が来てしまいました。悲しいのでワイドショーは見ないようにしようと思っていましたが、うっかりニュースをつけたら海老蔵さんの会見をやっていて、つい見てしまいました。あまりに早すぎる死が悲しすぎます。

 

最近、Amazonの読み放題で、黒木奈々さんの「未来のことは未来の私にまかせよう」を読んだ(聴いた)のですが、フリーアナウンサーの黒木さんが31歳で胃がんにかかって胃を全摘するもアナウンサーとして少しずつ復活を目指していくストーリーだったので、てっきり今は元気で活躍されていると思っていたのに、その後、なくなっていたことを知り、その時も衝撃を受けました。神様は頑張る人たちに対してなんて不公平なのだろうかと思います。

 

また麻央さんはお子さんたちもまだ小さい。

うちの上の子が保育園に通っていた時、同じクラスにがんの闘病のために子供を保育園に預けていたお母さんがいました。がんがわかったのは子供が7か月ぐらいの頃。入退院を繰り返していましたが、結局子供が5歳の時に亡くなりました。お通夜でがっくり肩を落としたご主人と泣いていたお子さんの姿が今でも思い浮かびます。その子も今では大学生。どんなにその成長を見届けたかったことでしょう。

麻央さんだけでなく、幼い子供を残して亡くなったお母さんたちは、家族を思い、どんなに心残りだったかと思うと心が痛みます。

 

とにかく、たとえ闘病生活だとしても、もっと時間を与えてあげてほしかった。

麻央さんのご冥福を心からお祈りいたします。

 

気合で文字を書く

見たいところが見えないので困るのが、自分の書く字がよく見えないこと。

書いている文字が欠けて見えるので、書いている最中、正しく書けているのかわからないのです。

 

パソコンの場合、とりあえず文字を打って、後から見直して訂正もできますが、例えば封筒に宛名を書いたり、銀行や役所の書式へ記入するなど、自筆で記入しなければならないときは緊張します。気を抜くと郵便番号欄の数字が枠からはみ出ていたりします。

 

これまでは、数文字書くごとに手を止めて、文字があっているか確認したりしていたので、また書き始めるときに行がずれてしまったり、文字を書き落としてしまったりと情けない状態でした。行がずれないようにと色紙をガイド代わりに使ってみましたが、そもそも視野の下の方が欠けていて見えないので、気づくと色紙まで文字がはみ出していることもあり、紙に字を書くのが憂鬱で仕方がありませんでした。

 

それでも、今まで「横棒何本引いたっけ?」と不安になると、手を止めて確認していましたが、「多少間違っていても雰囲気があっていればいいや」と開き直ったら、見えない状態で書くのに少し慣れてきました。色紙のガイドも使わず、書く位置を決めたら一気に書く。その方が書きやすいようです。

そうやって子供のテスト結果の保護者欄にコメントを書いたら、「今回はうまく枠の中に書けていたね」と子供から褒められました(笑)。今までどれだけひどかったのか。。。

 

こうなったら見えなくても美文字が書けるよう練習しますか。

 

 

モバイルSuicaは必需品

ロービジョンの私にとって、現金でお金を支払うのは結構緊張します。

冗談みたいな話ですが、100円玉と500円玉をとっさに見分けられないのです。

例えば、端数が〇百〇十〇円みたいなときに、「あれ、今までいくら出したっけ?」とわからなくなってしまうと、レジに置いたお金がよく見えないので焦ります。

そうなった場合は「〇円多いです。」とレジの人が返してくれるので、日本のレジはこちらが間違ってもごまかさず正しい会計をしてくれるのでありがたいと思いつつ、どこも悪くなさそうなのに、レジでもたもたしていた私の姿は間抜けに見えたんだろうなと落ち込んだりします。

 

そんなレジでの苦痛をなくしてくれるのが電子マネー

電子マネーならレジで小銭を数える苦痛はありません。

近所のスーパーはSuicaに対応していて、とても便利です。

私はモバイルSuicaを使いたいばっかりに、Androidを使い続けています。

そのうち書こうと思うのですが、AndroidiPhoneではアクセシビリティの使い勝手の点でiPhoneの方が上だと思っています。でも今のところiPhone7は高くて手が出ないし、機種代金の支払いが終わったAndroidはまだ当分使えそうなので、こちらをしばらく使い続けようと思っています。

 

それにしても、文明の利器が発達してくれて、不自由さを軽減してくれるのはありがたいですね。

早くキャッシュレスの時代が到来してもらいたいものです。